抖音や小紅書を開くと、お金持ちがあふれているのに、自分の財布を開くと貯金がほとんどないことに気づく。お金持ちの狂騒を見て、自分もいつかその仲間入りできることを想像し、やる気が満ちてくる。
古代、商鞅は「民を操る五つの術」を定めた。それは愚民、弱民、疲民、辱民、貧民である。
愚民とは、一般市民の思想を束縛すること。弱民とは、一般市民の力を削ぐこと。疲民とは、一般市民を疲れさせること。辱民とは、思想的に人民を奴隷化すること。そして貧民とは、一般市民が最小限の金銭しか持てないことを指す。
先日、友人とチェーンのマッサージ店に行き、技師たちの勤務時間について尋ねた。技師は毎日朝から晩まで働いていて、とても疲れていると言った。数時間まともに休むことができない。
私は休んでいるときに何をするのかと尋ねると、彼女は「寝るよ」と答えた。普段は疲れ果てているので、やっと休めるときはしっかりと二日間寝る。
暇があると混乱が生じるため、労働時間をできるだけ長くすることが会社の基本的な管理方針である。
経済の発展に伴い、私たちは親世代よりも多くの物質的享受を得ている。以前は貧困から脱却し、今は全員が小康と富裕を目指している。
しかし、なぜ私たちは幸せではないのか?それは、家や車が必需品となり、ローンが私たちの享楽の欲望を圧迫しているからだ。休みたいと思っても、新しいものが出てきて私たちを疲れさせる。
もしみんなが裕福になったら、汚い仕事や辛い仕事は誰がするのだろうか?